■ 国語教育部会 5月拡大例会
「〈文脈〉を掘り起こす」とはいかなることか ■
今回の開催に至る部会の流れと司会者個人の立場を先に申し述べますが、タイトルをめぐってであれば自由に活発な議論を広く期待しております。
本拡大例会は昨年二松学舎大学で行われた日本文学協会第63回大会「文学教育の転回と希望―〈文脈〉を掘り起こして―」(本年度『日本文学』三月号に掲載)を受け、そもそも何故「〈文脈〉」であり、「掘り起こす」とは一体いかなることか、これが教材価値や文学作品価値をいかに引き出すのか、その原理から改めて考え直そうとするものです。
もともと文学教育には「正解主義」と「正解主義批判」の対立、奥田靖雄と荒木繁の論争がありました。それが八十年代のテクスト論の登場以降、部会ではその双方を原理的に批判する「正解主義批判の批判」に一旦立ちました。すると、そこには言語技術教育により注目した日本語教育へと向かうとする流れと、文学研究との相互乗り入れによる文学教育再生に向かおうとする流れの、二つの選択肢が待っていました。時流は文学教育批判、あるいは積極的否定がポストモダニズムの運動と重なって活発化し、活動主義に傾きました。部会がこれに反して後者の中に可能性を見てきたのは文学教育批判・否定論者たちにエセ読みのアナーキーを見て、教育における文学の可能性が封じられていると考えたからであります。既存の文学の思考の制度を否定して文学教育の可能性を拓くには、読みの原理に立ち戻り、グランドデザインを描きなおす必要があると考え、読み手に捉えられた対象と、対象そのもの、すなわち第三項(=了解不能の《他者》)とに峻別し、その〈影〉が読み手に捉えられるとし、これを「テクスト」に対置して、〈本文〉と呼び、これを読む対象としたのです。〈本文〉は既に一定の〈文脈〉を形作っています。そこで昨年の大会発表のお一人、『物語の哲学』(岩波現代文庫)の著者野家啓一さんは「物語り」の「外部」を認めるロウ・ナラティヴィストを自称し、「物語りを語り直し、更新するダイナミズムの中へと身を投ずる」と言われています。部会では「表層批評」に対し、「深層批評」とも言ってきましたが、野家さんの提起は物語文学と小説文学とがどのように関わり、どう教材価値を引き出すのでしょうか。そもそも「ことばの意味」はどこに、どのように宿り、どのように〈文脈〉は現れるのか、その原理的な問いから始め、文学作品の可能性、教材価値を考えてみようと思います。今回の拡大例会は、特に一昨年の拡大例会でもあった、池田晶子「言葉の力」の問題をさらに突き詰めようとするものでもあります。(文責 田中実)
・日時 2009年5月16日(土)
開始13時30分(開場13時) 終了17時
・会場 東京都立産業技術高等専門学校
・交通 京浜急行電鉄 鮫洲駅徒歩9分
青物横丁駅徒歩10分
りんかい線 品川シーサイド駅徒歩3分
・パネリスト 丹藤 博文(愛知教育大学)
宮崎 三世(京都大学大学院博士課程)
中田 大成(海城中学校・高等学校)
・司会 田中 実 (都留文科大学)
・資料代 500円(どなたでもご参加できます)
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