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7月号特集 いま遊里文芸を考える
遊里文芸は近世文学の精華であった。井原西鶴の浮世草子、山東京伝の洒落本など、がんじがらめの社会において、それにおさまりきれない人間の真情を描いて、当時はもちろん、その後も長く人々を魅了した。
近世では遊里や芝居町が風紀を乱すとして悪所とされたが、その悪こそが魅力の根元であった。現代では吉原など江戸の遊里の研究が進み、吉原が単なる遊里ではなく、衣裳や音曲などの流行を支えた文化の発信地であることがわかってきた。
遊里・遊廓が、小説はもちろん、マンガ・映画・ゲームなどに登場することは珍しくない。大ヒットした少年マンガ『鬼滅の刃』にも遊廓編が存在する。2024年には東京藝術大学で「大吉原展」が開催され、2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』では、主人公の蔦屋重三郎が生まれ育った吉原がたっぷり描かれることとなった。
その一方で、売買春による性的搾取・虐待が絶対悪となった現代において、かつてのような態度で遊里文芸を受容することはできないだろう。現代では遊里の負の歴史が強く意識されるようになり、「大吉原展」は開催前から、負の面への配慮が足りないことが疑われ、大きく批判されることになった。
さて、このような現況で遊里文芸はどのように論ぜられるだろうか。光と影、遊里の両面が意識されるようになった、いまだからこそ、遊里文芸をあらためて考えてみたい。
記
一、締切 2026年4月15日 正午必着
一、応募方法 新投稿規程を参照
『日本文学』編集委員会
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