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9月号特集 詩と言語


 日本近現代詩の書き手たちは、ほぼ例外なく言語と格闘してきた。もちろん、文芸一般が言語を前提とした表現形態である以上、詩人だけでなく、どんな文学者も言語と少なからず関わりを持っている。しかし、言語表現に苦悩し、格闘する文学者は、なかでも詩人に多くみられる。
 たとえば、萩原朔太郎は日本語に醜さや欠陥を感じながらも、それを乗り越えるべく日本語で表現し続けた。中原中也は、「手」という名辞を口にする前に感じている「手」、すなわち「名辞以前」を芸術の理想とした。詩人でもある吉本隆明は、まさしく『言語にとって美とはなにか』で文学と言語の関係を問うた。飯島耕一は、詩らしい詩を求めて、マチネ・ポエティクの失敗を念頭に置きつつも押韻定型詩の実作を試みた。谷川俊太郎は、言葉に疑いを持ち、言葉を信用していなかった詩人であり、その結果音楽に理想を求めた。
 詩人の言語観はそれぞれによって異なるが、たとえ言語に限界を感じていても、詩を書く以上、言語から逃れることはできない。そこで、2024年11月の谷川逝去の報に接したいま、詩と言語の関係をあらためて検討する機会としたい。
 詩と言語といったとき、個々の詩人の言語意識はもちろん、文語と口語の問題、共通語と地方語の関係、翻訳の可能性・不可能性、音韻の必要の是非など、さまざまな論点が存在する。そこには、眼で読まれる言葉・声に出される言葉の関係も含まれるだろう。メロディに乗せ、声に出して歌われるポエトリー・ラップの言語は文芸としての詩のそれと同じなのか、違うのか。また、近年では「手話詩」というジャンルが存在するが、手話は言語であり、したがって手話詩について検討することもまた詩と言語の関係を考えることである。
 詩と言語の関係について、これまでにない視点から見つめ直す場となることを期待する。

     記

 一、締切 2025年6月15日(日) 正午必着

 一、応募方法 新投稿規程を参照


『日本文学』編集委員会


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