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3月号特集 古代文学における媒介者たち
異なる二者をなかだちし、橋渡しし、あるいは両者を分断し、つなぎ媒介するもの。語り手、歌い手、ワザを持つ者など、媒介者たちは歌、語り、物語を生成、展開、転回する働きをもつだろう。かつて構造主義理論は、媒介が果たす「秩序生成」、「交通」ないし「対立」などをとらえる新しい視点を提供したが、これによってもたらされた世界観やその境界はもはや自明ではない。
媒介者をそのあり方の「複数性」においてとらえることはできないか。複数性においてとらえるとは、媒介者たちの一つの作品内や、歴史的年代を超えていくあり方を見出そうとするものである。また、一人の人物として見るのではなく、媒介者どうしのコミュニケーションの働きや、ネットワークをとらえようとするものである。
例えば、女房たち、命婦たち、乳母たち、女の童たちは、「見えないネットワーク」「明かし得ぬ共同体」(M・ブランショ)を生成し、そこに住まい、何かを生み出しているのではないか。ワザに関わる伝承において、木の幹に「仏」を見出すワザを持つ者たちには、意図的ではないネットワークによる「系譜」や「伝わり」が見出せるのではないだろうか。これを「散在」という複数性として問うことができないか。
また、神話や歌、物語において媒介者たちは媒介作用を果たすためたち現れ消え去ってゆくようにみえるが、それはミニマル・シーケンス内においてにすぎないのではないか。「その後」が存在している例をどのようにとらえられるだろうか。一見、排除され消失したかにみえる媒介者が、実は間欠泉を生み出す地下水脈のような「持続」のなかにあったことを見出し、問うことが必要なのではないか。
イザナキ・イザナミの最初に生んだヒルコは三貴子誕生と秩序生成のために流され排除される。その後は記紀神話のテクスト内に登場することはないが、中世神話のなかで神として転成する。『源氏物語』の媒介的とされる人物が、長編的な構想をとらえるなかで、別の姿、登場意義、存在意義をもってくることも考え合わせられよう。
時間においてのみならず空間においても、媒介者が排除されず、散在し存続し続ける、その時間ないし空間、あるいは中心権力に対する異なるありかたを、古代に限らないスパンで見出したい。
翻訳者、審神者(サニハ)、乳母、内侍、従者、語り手、歌い手など、媒介しつつ散在・存続し続ける媒介者たちを問う。
記
一、締切 2024年12月15日
一、応募方法 新投稿規程を参照
『日本文学』編集委員会
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