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10月号特集 友情と文学
友情とは何か。それはいつの時代の人々にとっても、きわめて重要な問題であった。管仲と鮑叔牙の故事(『史記』)が人口に膾炙し、范式と張邵の故事(『後漢書』)が物語として様々にかたちを変えていったのは、後世の人々がそこにある種の理想を見出したり、あるいは教訓として語り継ぐべきものと考えたりしたためであろう。親しい友との交わり方は、自らの精神性を映し出すものでもあり、古来、友情をテーマとした作品が数多く書かれてきたのは必然的なことであった。その事実は、「友情とは何か」という問いには無数の答えが存在するということを、同時に示してもいる。
「友情」とは、いかにも使い古された陳腐な言葉である。しかし、それでも文学は「友情」を描き続けてきた。『源氏物語』の光源氏と頭中将、「菊花の約」(『雨月物語』)の丈部左門と赤穴宗右衛門、夏目漱石『こころ』の先生とK、吉屋信子『花物語』の女学生たちなど、日本文学を見渡してみれば、その友情のあり方が注目されてきた例は多い。文学の世界において「友情」はいかに描かれ、いかに読まれてきたのだろうか。そのことの意味を、いまあらためて考えたい。
一方で、友情というテーマが正面から扱われていなくとも、それが意外な鍵となっている作品も少なくない。また、様々な友情のかたちに焦点を当てることもできそうである。恋と同じように、片思いのような友情もあれば、三角関係のような友情もあるだろう。男女の友情がいかに描かれてきたかというのも重要な問題であるし、人間と異類の友情というものも決してあり得ない話ではない。加えて、これまで「友情」の物語として理解されてきた作品を問い直し、そこで「友情」として描かれたものの本質を明らかにすることも、文学における「友情」とは何かを再考することにつながるはずである。「友情」をキーワードに据えることで、作品の新たな読みの可能性が示されることを期待したい。
記
一、締切 2025年7月15日(火) 正午必着
一、応募方法 新投稿規程を参照
『日本文学』編集委員会
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