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5月号特集 記録の戦略

 
   二〇一五年五月号古代特集のテーマ「時を越えて伝える」は、「どのように記憶を伝えるのかという、その伝え方の問題にこだわってみたい」という観点から、「記録する」「話す」「語る」「歌う」といったさまざまな伝え方があることを基底に据えつつ、時を越えて記憶を伝えることの意義を明らかにしようとすることを企図するものであった。本号では、その問題意識を継承しつつ、さらに「記録する」という行為に焦点を絞ってみたい。
 さまざまなメディアが錯綜する現代において、「記録する」ことは、より一層戦略的な意味合いを帯びてきている。「記録」と個人の問題、「記録」と社会の問題、「記録」と権力の問題。それにしても、「記録する」手段に満ちあふれた現代は、まさに「記録する」ことの欲望を発散しやすい時代となっている。翻って、古代においては「記録する」道具も場も限られていた。そのような状況のもとでも、人はなお「記録」したのだった。
 そもそも、人はなぜ「記録する」のか、「記録する」という行為がもつ意味は何か。たとえば、正確に「記録する」ということはあり得るのか。漢文日記は事実の正確な記録であり、仮名日記は創作であるといった捉え方がなされることが多い。しかし、「記録する」という立場をとることによって意識的に改変された記述が事実となっていく場合もある。「記録する」ことによって事実とは異なる歴史が創造されることもある。一方、人は「記録」に何を求めるのかという視点も重要だ。「記録する」ことを意識しないで書かれたものが、後に「記録」として読まれることもあろう。逆に、克明な「記録」が、ルポルタージュを越えて文学として読み継がれていくこともある。
 「記録する」ことにまつわる「意識的な欲望/無意識の欲望」、あるいは「記録を文学として読む/文学を記録として読む」といった問題を掘り下げ、「記録の戦略」を炙り出してみたい。記紀、伝説、漢文日記、日記文学、物語文学、さらには和歌や歌謡、漢詩文の中にも、伝えたい「記憶」と「記録」の葛藤を見出すことができそうだ。多様な視点からの斬新な論考を期待する。

     記

 一、締切 2016年2月20日
 一、枚数 35枚(400字詰)程度

『日本文学』編集委員会


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