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5月号特集 時を越えて伝える
たとえば、戦争や原爆、あるいは津波のような辛い記憶を、忘却するのではなく、いかにして次世代、さらに次の世代に伝えていくことができるのだろうか。記憶することと伝えることとは根本的に異なる。辛い記憶は忘却するにこしたことはないが、それでも伝えることの意味は何か。忘却できない記憶をどうやって鎮めていくのか。その記憶を、やすらかな思い出に変えていくという鎮め方もある。が、逆に、忘却するほかない時間の流れに逆らって、その記憶を呼び覚ますという伝え方もある。それは辛い記憶を呼び覚まして、その都度、鎮魂するということなのだろうか。
なまなましい記憶を忘却するための伝え方、逆にその記憶をまざまざと再現するような伝え方、少なくとも、時を越えて記憶を伝える方法は多様である。本特集は、どのように記憶を伝えるのかという、その伝え方の問題にこだわってみたい。ある事柄を、「記録する」のか、「話す」のか、「語る」のか、「歌う」のか。また、それはどのような意味をもっているのか。そして、具体的にそれはどのように行われるのか。
古代文学研究は、こうした問題の一端を、「伝承」、「享受」、あるいは「伝授」というタームによって研究の対象としてきた。そこには、外来の漢字を用いつつ口誦伝承を記載する方法、中央の歌や物語の地方への伝播のありよう、神話や物語の享受のあり方――記載されたものを読むのか、語りを聴くのか――、記載された物語の聖典化あるいは古今伝授のありよう、などのさまざまな視点からの考察が見られるところである。
このような具体的、個別的な論を、一度、伝え方の問題として捉え返してみたいと考える。そこに、記憶を、時を越えて伝えることの意義が見えてくればと思う。
記
一、締切 2015年2月20日
一、枚数 35枚(400字詰)程度
『日本文学』編集委員会
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