■加島正浩著『終わっていない、逃れられない
――〈当事者たち〉の震災俳句と短歌を読む』■
2024年3月30日 文学通信刊 223頁 1900円+税 |
序章 東日本大震災は「普遍性」に回収できるのか
本書の目的/なぜ東日本大震災の特殊性に着眼するのか/東日本大震災は「当事者」だけが直面した問題か/失った感覚すら失ってしまう日常の前で
第一章 原発「事故」以後の問題とは何か――東海正史『原発稼働の陰に』・佐藤祐禎『青白き光』
原発「事故」以後の問題とは/「以後」を生きさせられるということ/それでも原発と住む理由
第二章 「事故」以後の福島をどう捉えるか――齋藤芳生『湖水の南』・市野ヒロ子『天気図』・駒田晶子『光のひび』
福島は「フクシマ」か?/見せたくないものばかりでも目に入る「以後」/福島の歴史のうえに「事故」があった/福島はいま福島に住んでいる人たちだけのものではない
第三章 警戒区域となったふるさとにどう関わるか――三原由起子『ふるさとは赤』『土地に呼ばれる』
原発によって分断される〈ふるさと〉を詠む/誰かの傷をみながら、傷つき、詠うこと/型にはめられない多様さを詠う/あえて韻律をはずし、自分自身の「形」を作っていく
第四章 「事故」以後の福島に住むということ――五十嵐進『雪を耕す』・澤正宏『終わりなきオブセッション』
『駱駝の瘤:通信』という文芸同人誌/曾根毅『花修』との比較から考える/「業界」を越境して考える/「土地の叫び」を聞いてきたのか/短歌が「歌集」になることの可能性
第五章 福島をどう語るか――夏石番矢『ブラックカード』・中村晋『むずかしい平凡』・本田一弘『磐梯』『あらがね』
「フクシマ」は蔑称か?/「見えない」ものを詠まざるを得ない原発「事故」以後/〈被災地〉を語る言葉はどこから来ているか/言葉を鍛える必要性
第六章 「文学」は隠蔽する――永瀬十悟『三日月湖』・小野智美編『女川一中生の句 あの日から』
誰が「事故」を引き起こしたのか?/絶望を「希望」で覆い隠す/「文学」にとって書く必要のないこと
第七章 東日本大震災は終わっていない――逢坂みずき『まぶしい海』・梶原さい子『リアス/椿』・近江瞬『飛び散れ、水たち』・照井翠『龍宮』
「震災以後」を生きるということ/被災者にしか、住む者にしか、わからないこと/その鈍感さが〈忘れてもいい〉という言葉を呼び込む/死者が〈普通〉ではいさせない/震災に「関わってしまう」こと
終章 忘れたふりをする人たちのために
「当事者」だけが死者に脅かされているのではないか?/選び取られた理由を探る――「原発忌」と「福島忌」について――/俳誌『浜通り』と〈フクシマ忌〉/〈フクシマ〉の表現を更新するために
あとがきに代えて
■資料 震災歌集リスト
震災句集リスト
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