■佐藤未央子著『谷崎潤一郎と映画の存在論』■
2022年4月25日 水声社刊 317頁 4000円+税 |
序章 谷崎潤一郎と近代映画史
1 映画を観ること・語ること
2 研究史と問題の所在
3 本書の方法と構成
第Ⅰ部 映画の潮流
第一章 〈シネマニア〉谷崎の誕生
1 近代映画史と谷崎
2 映画製作の現場で
3 関西へ渡って
4 映画界との距離
第二章 「人面疽」の〈純映画劇〉的可能性――映画化計画をめぐって
1 純映画劇運動と〈物語〉の希求
2 映画『人面疽』特報から
3 女優百合枝のストラテジー
4 「腫物」表象とアトラクション
5 映画化の(不)可能性
第三章 「月の囁き」考――〈映画的文体〉を書く/読む
1 「読物」としての映画劇
2 映画ノベライズと脚本の諸相
3 「月の囁き」と映画的文体
4 〈感光〉する綾子/「感染」する章吉
5 映画から言語へ
第Ⅱ部 映画製作と欲望の物語
第四章 「肉塊」と映画の存在論――水族館―人魚幻想、〈見交わし〉の惑溺
1 「向う側の世界」の誘い
2 水族館―映画館という装置
3 誘惑する人魚
4 現実と幻想の惑乱
5 〈肉塊〉の官能とブルー・フィルム
第五章 「青塚氏の話」のドラマツルギー――映画製作/受容をめぐる欲望のありか
1 「由良子」は誰のものか?
2 デミル/シュトロハイムと女体表象
3 商品としての女優
4 視覚的快楽から肉体の享楽へ
5 欲望の果てに
第Ⅲ部 映画を夢む
第六章 「魔術師」、視覚のゆらめき――「半羊神」の狂乱
1 スペクタクルへの欲望
2 起源としての魔術
3 「視覚の作用」と〈性〉のゆらぎ
4 「半羊神」の夢
5 映画の魔術性
第七章 記憶のフィルムと羊皮紙――「アヹ・マリア」と映画語り
1 〈映画〉を語る男
2 記憶への意志
3 騙られる映画
4 「宇宙のフイルム」とベルクソニズム
5 再生される〈マリア〉
第八章 「盲人」の夢――「春琴抄」と映画哲学
1 「春琴抄」映画化に際して
2 「眼を閉ぢた時の視覚世界」
3 夢見と想起
4 表象の囚人
5 Eyes Wide Shut
終章 映画テクストの極北
1 総論
2 映像の強度
註
主要参考文献
参考映画作品
あとがき
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