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1月号特集  文学における〈公〉と〈私〉

 
   文学研究において〈大きな物語〉が焦点化されにくい状況が続いている。だが、マクロな問題系の有効性までが失われたわけではない。前年の大会では「「読み」の基底を問い直す」と題し、これまでの「読み」の理論を生かしつつ、古典文学、近現代文学の論者の発信を通じて具体的な作品を対象に、テキスト内/外の様々な事象が、「読み」にどのように作用し、その基底を形作るのかを考えた。
 以上の成果を出発点とした場合、例えば〈公〉と〈私〉をめぐる関係性の問題は、日本文学をマクロな視点で俯瞰するための切り口として、一つの有効な視座となりうるだろう。
 〈公〉と〈私〉は、単純な二項対立的な関係を結ぶのではない。〈公〉の概念は〈公共〉という概念と表裏一体にして、〈私〉という概念をゆるやかに包みこむものである。たとえば国家的レベルの事象を〈公〉と捉える見方がある一方で、国家ではなく個人から発せられた理性に公共性を捉える考え方もある。時には〈公〉(そして〈公共〉)が、〈私〉と対峙・対立する関係を築き、また時には、異なる文化・立場としての〈私〉と〈私〉をつなぐものとして立ち働く。そのような運動体としての〈公〉〈私〉の関係性を、これまでの日本文学の営為から辿り直したい。
 古来、日本文学は人間存在の有り様を写し取り、表現してきた。そして人間存在の規範の一つである〈公〉と〈私〉の概念は、時代によって拡張したり縮減したりしてきた。時代とともに変動する〈公〉〈私〉の概念を捉えかえすことは、平たく言えば文学のなかで様々に関係づけられた人間の所在を炙りだすことに他なるまい。
 近世以前における、国家・朝廷と地方。あるいは日本とアジア。〈公〉と〈私〉を包摂する時空の変容は、文学の表現形式(和文・漢文)の変質をももたらしたと考えられる。そしてその先に、近代国家における集団と個人の関わりを追究し続けた文学の存立も問われるはずである。
 また、一九八〇年代後半には部門横断的に〈他者〉や〈天皇制〉について議論された経緯があり、国語教育部門でも二〇〇三年八月に「文学と教育における公共性の問題―文学教育の根拠」が問われたこともふまえておきたい。
 こうした議論をとおして、日本文学に縫いこめられた、人間たることへの審問を闡明したい。
     


                記

 
  一、締切 2018年10月20日

  一、枚数 35枚(400字詰)程度

『日本文学』編集委員会


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