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11月号特集 原爆/原発文学と強制された〈日常〉

 
    東日本大震災による原発事故から六年が過ぎた。首相は「復興」を強調、政府は避難指示を解除し、自主避難者の住宅支援も打ち切った。被害者に〈日常〉を強いて「アンダーコントロール」を既成事実化しつつあるようだ。除染廃棄物を詰めたフレコンバックが山積し、廃炉作業従事者を運ぶ大型バスの並ぶ光景が〈日常〉の一部と化す現状にこそ問題の根はある。
 何事もなかったかのような〈日常〉を強いられる現状は、被災地だけの問題ではない。多くの人々は原発事故を忘れる一方で、自らに降りかかかる苛烈な人権侵害に対しても無抵抗に生きようとしている。吉村萬壱『ボラード病』は、強いられた〈日常〉を自ら受け入れ演じ続ける人々の物語だが、それはまさに今、ここの物語なのだ。
 ところで、アニメ『この世界の片隅に』の原作者、こうの史代のマンガ『夕凪の町 桜の国』にも、何事もなかったかのような〈日常〉が描かれている。原爆投下から一〇年後の広島で、人々は身体に傷跡を残しながらも被爆について誰も語らない。何も語らないことで〈日常〉を生きざるをえない点でも、原爆と原発の被害は地続きである。
 今年二月の『ボラード病』文庫化と相前後し、自らの被爆体験をもとに小説を書き続け、東日本大震災後には原爆と原発を重ねてねばり強く発語してきた林京子が逝去した。このような書き手からの声を失うことで、〈ボラード病〉の進行に拍車がかかることは避けたい。
 そこで本特集では、原爆や原発をめぐって〈日常〉が強制される状況について、あるいはそれを自ら受け入れ、語ろうとしても語りえなくなる状況について、文学がこれまでどう向き合ってきたのか、これからどう向き合うべきかについて批判的に検討していきたい。現在の〈日常〉が非日常であることを可視化しうるような意欲的な論考を期待したい。
    

     記


 一、締切 2017年8月20日

 一、枚数 35枚(400字詰)程度

『日本文学』編集委員会


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