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1月号特集  文学としての情報/情報としての文学
  

  古代から現代に至るまで、人びとは常にそれぞれの時代に固有な、情報のネットワークのなかに身を置いてきた。文学作品もそのネットワークの中に生み出され、それが後世の読み手には時代・社会的な文脈として映ることになる。しかし同時代という文脈が形成される際には、意識的にも無意識的にも情報の取捨が行われ、表現の与えられ方も様々である。たとえば鴎外に創作の動機を提供した「大逆事件」は、漱石にはほとんど閑却されているといった差異が存在する。
 
それは結局、同時代の社会という文脈が、作者の意識的営為を通過しなければ、「情報」として存在しないということを示す。また市井の情死事件が近松の「心中物」という悲劇の一ジャンルをもたらしたように、表現の素材としての情報のヒエラルキーは、歴史的な重要性と無縁である。そして情報と表現の交点に存在する作者は、個人であると同時に、共同体の声や眼差しを依り憑かせる集合的存在の雛形でもある。

 もちろん「情報」は共時的な形で活用されるだけではない。文化の継承とは、通時的な次元における情報の受容と相対化の集積にほかならない。中世の「本歌取り」は「本歌」という情報に対する捉え直しであり、世阿弥が重んじた能の「本説」も、語り直される対象としての情報であった。そして「伊勢」「源氏」「平家」といった「本説」としての物語群自体が、共時的・通時的情報の集積体として成り立っている。

 こうした空間・時間の場に流通する様々な情報の織物として文学作品が成り立ち、さらにそれが新たな情報として同時代あるいは後世の表現者たちの表現をもたらしていくメカニズムを、古代から近現代に至る文学の系譜のなかに探っていけるのではないだろうか。

 また国語教育とは、教科書編集者、教師、子どもというレベルの異なる主体の関与によって行われる文化の継承と創造の営みである。よって文学教材とその授業には、共時的・通時的情報としての文学観、教育観、子ども観などが時代に応じて織り込まれているはずである。

 加速しつつある情報化時代の現在、社会や時代を媒介にして、あらためて人間と情報との関わりを文学の地平で捉え直してみたい。斬新な寄稿を会員諸氏に期待したい。

     記
 一、締切 2007年10月20日
 一、枚数 30枚(四百字詰)程度
                                              『日本文学』編集委員会