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千葉一幹著
『宮沢賢治――すべてのさいはひをかけてねがふ――』


2014年12月10日 ミネルヴァ書房刊 299頁 3000円+税


   
序章 賢治はいつ宮沢賢治になったのか――東北に生まれたことの意味

幼い賢治をめぐる逸話 賢治誕生直後の陸羽大地震 東北の苦しみ 
凶作と飢饉が起きる構造  明治以降の東北 
稲作への固執と稲作ナショナリズム 東北に生まれた意味

第一章 恵まれた幼年時代

1 父・政次郎の商才
長男として生まれる 家業は質・古着商 鉄道を駆使した父の商売 得た富で小作地を所有

2 慈愛に満ちた父母 
幼い賢治にとっての家業 慈母・イチ 父・政次郎が見せた情愛 叔母たちから注がれた愛情
幸福な家庭環境 『山の人生』に見る近代日本の子供たち 幸せな幼年期に育まれたオプティミズム「選ばれた者」という自覚 

第二章 勉学挫折と信仰心の高まり

1 盛岡中学入学と家業嫌悪の始まり 
寄宿舎舎監の笑い 佐々木経造からの仕打ち 舎監排斥運動を起こす 
学校内外で逆転する教師・学生関係 立場が違えば見方も変わる 
家業への嫌悪

2 成績不振と短歌制作 
振るわない成績 明治期の義務教育制度 
祖父の世代、父の世代の教育観 短歌制作を始める 賢治の作った短歌 
賢治の短歌の特徴

3 盛岡高等農林進学と法華経との出会い 
進学断念と初恋 法華経との出会い 良医病子の話 
自己救済としての法華経 「ひのきの歌」に現れた認識 
修羅の持つ複雑な来歴、多面性 勉学も宗教も熱心に 
文芸誌「アザリア」の刊行 初めての上京 家業継承という悩み 
法華経への傾倒 将来への焦り 病への恐れ 

第三章 立身出世を志して東京へ

1 国柱会入信――法華経理解の転換点 
父との葛藤 立身出世主義とは何か トシの看病と東京満喫 
父からの叱責 富貴な者の社会的責任 個人を抑圧する言説 
高等農林助教授の申し出を断る 国柱会との出会い 「世界」への焦り 
法華経の社会性 折伏の実践

2 東京出奔と文学創作 
東京への出奔 国柱会を訪ねる 「法華文学」創作を志す 
文学による立身出世 「ネネム」に見る立身出世 
「ブドリ」に見る自己犠牲 エディプス・コンプレクス 
「気のいい火山弾」における大学 「どんぐりと山猫」における権威 
賢治作品における頼りない父親 「貝の火」における父 
御利益宗教と一神教 父親の機能 ホモイ失明の意味 
立身出世主義と父の否定に対する賢治の態度 上京した父との和解

 3 東京でエスペラントを学ぶ 
賢治が夢を抱いた東京 訛りと標準語 
「どんぐりと山猫」に現れた方言 「鹿踊りのはじまり」に見る疎外体験 
エスペラントという言語 エスペラントへの思い 花巻に戻る 

第四章 トシの死と羅須地人協会

 1 トシの早世と信仰の危機 
二四歳で亡くなったトシ 三つの詩に込めた思い 
トシの魂が見たであろう光景 法華経信仰の揺らぎ 信仰と因果律 
信仰とトシへの思い

 2 農学校教師から農業実践へ 
信仰への独自の原動力 賢治が賢治になる 稗貫農学校での教師体験 
「高等遊民」としての生活 充実した四年の教師生活 
著作出版への期待 花巻農学校を退職 羅須地人教会の活動を開始 
共通認識だった東北農業の後進性 農業以外の活動が誤解される 
東北砕石工場のセールスマンに 

終章 家族への遺言 

父への遺言 三七歳で死去 死の前日の絶筆 信仰・農業・文学 
賢治の言葉に見る衝迫 農業実践は実を結ばず 「ブドリ」の死の意味 
家族に託した原稿 賢治作品に見る折り




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