■原田 実著『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』■
2014年8月25日 星海社刊 222頁 820円+税
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はじめに「江戸しぐさ」を読み解く三つの視点
「嘘・大げさ・紛らわしい」の見本
歴史捏造が、教育現場にまで浸透する危機的状況
「江戸しぐさ」の作者・芝三光と、以降の展開
オカルト物件としての「江戸しぐさ」 /
第一章「江戸しぐさ」を概観する
三〇〇年の大平を支えた町人哲学?
社員研修・市民講座から学校教育まで
普及に手を貸すマスコミ
文部科学省の教材にまで登場
恐怖の「江戸っ子狩り」と隠れ江戸っ子の苦難
「しぐさ」を「思草」と書く意味
一九八〇年代、『読売新聞』に突然現れた「江戸しぐさ」
具体化してゆく「江戸しぐさ」 /
第二章 検証「江戸しぐさ」パラレルワールドの中の「江戸」
個々の「江戸しぐさ」を解剖する
「傘かしげ」はありえたか
威嚇しあう「肩引き」
海軍式の「蟹歩き」
電車が走る江戸の街
江戸時代の例も挙げられない「仁王しぐさ」
身分社会で平等主義?
「三脱の教え」は身分社会では不要
時間泥棒に支配された江戸
オランダ人の見た「時間にルーズな日本人」
芝の個人的感覚の産物
江戸の往来の風物詩も否定
「横切りしぐさ」
「駕籠とめしぐさ」
江戸に嫌煙権はありえたか?
トマトの食用は近代以降
「じっくりコトコト」は現代的
昆布は江戸ではなじみがなかった
野菜スープ健康法の亡霊
心に肥やしを撒く?
「こやし」=「人糞尿」
チョコレート入りのパン?
真夏の江戸で氷は手に入ったか
江戸っ子はバナナが好物?
江戸庶民のトロの食べ方 現実の江戸の「町人哲学」は「心学」だった /
第三章「江戸しぐさ」の展開 越川禮子と桐山勝
当初の関心は高齢者問題
アメリカ公民権運動にのめりこむ
アメリカ公民権運動から「江戸しぐさ」へ
芝三光の晩年を看取る
「江戸しぐさ」伝授は老人の愚痴
先住民としての「江戸っ子」
「NPO法人江戸しぐさ」設立への道
集金システムとしての講師認定制度
影のキーパーソン・桐山勝 /
第四章「江戸しぐさ」の誕生 創始者・芝三光と反骨の生涯
「江戸しぐさ」創始者は芝三光
一九二二年生まれ説と一九二八年生まれ説
GHQ伝説はなぜ生まれたか
人間チェック・テストに合格しなければ「江戸っ子」になれない?
江戸講の正体は米軍将校クラブ?
マッカーサー顕彰運動
「江戸しぐさ」のベースは英米式マナー
華族の庶子というホラ話
昭和へのノスタルジーとしての「江戸しぐさ」
芝の夢想した「反現実のユートピア」
自己啓発の元祖・一九七〇年代ビジネス書の影響
芝は「江戸しぐさ」の一人歩きを恐れていた
和城流「江戸しぐさ」と「NPO法人江戸しぐさ」
反骨の産物が権力に都合がいい物となる皮肉
自民党=安倍晋三ラインによる教育現場への浸透 /
第五章 オカルトとしての「江戸しぐさ」偽史が教育をむしばむ
「江戸しぐさ」浸透の構造を分析する
江戸っ子は関東大震災を予知した?
「ロク」とは科学的推論?
偽史『東日流外三郡誌』との類似性
偽史としてより巧妙な「江戸しぐさ」
証拠の欠落が強みだと悟ったUFOカルト
一切証拠を示さないラエリアン・ムーブメント
ネイティブ・アメリカンの長老を捏造――カスタネダ事件
「すべてが嘘とは言い切れない」論法は無意味
「専門家」の対応が事態をこじらせる
専門家が社会的責任を果たさなかった帰結
高学歴者もオカルトにはまる
企業経営者・コンサルタントのオカルト嗜好
オカルト好きコンサルの代表・船井幸雄 /
第六章 「江戸しぐさ」教育を弾劾する 歴史教育、そして歴史学の敗北
教育に使ってはいけない、偽の歴史
虚偽を根拠に「道徳」を説けるのか
科学界の批判が食い止めた「水からの伝言」
教育現場に蔓延する奇妙な話
教科書検定制度の無力
凶悪犯罪は江戸時代にもあった
いじめや体罰も江戸時代からあった
現状否定のために過去を美化することの無意味さ
「江戸しぐさ」と同和教育は両立できるか?
「歴史教育の敗北」と「歴史学の敗北」
歴史学も無傷ではいられない
反論や疑問を封じる狭量さ
「現実逃避」から生まれた「江戸しぐさ」
「江戸しぐさ」を教育から追放するために
おわりに 「江戸しぐさ」は最後の歴史捏造ではない
「江戸しぐさ」はUFOよりもあり得ない
芝三光のオリジナリティ
「江戸しぐさ」は最後の歴史捏造ではない
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