5月18日(日)16:00~
近代部会5月例会
テーマ
『小公子』(バーネット原作/若松賤子訳)について
報告者 但馬みほ
【予告】
フランシス・ホジソン・バーネット(1849‐1924年)原作のLittle Lord Fauntleroy(1885-1886年『セント・ニコラス』連載)と若松賤子(1864-1896年)の翻訳による『小公子』(1890-1892年『女学雑誌』連載)を対象とし、同時代を生きた女性たちの手によるテクストが英米と日本においてどのように生成し受容されたのかをジェンダー批評の視点から検証する。
バーネット作Little Lord Fauntleroy(以下LLF)は、従来主人公セドリックが純真無垢で疑うことを知らない天使のような性格をもって頑固な老人の心を開き、莫大な富を相続するメロドラマ的な物語と受け止められてきた。しかしジェンダー批評の視点からこの作品を分析すると、一見無力な母親エロルが天真爛漫な息子セドリックを媒介として新しい家族を創造する構造が浮かび上がってくる。さらに若松賤子訳の『小公子』は、母親としてのエロルに原作以上に毅然とした性格を与え、日本語的な敬意表現に長けた母親像を創出していることがうかがえる。翻訳という創作行為によって若松賤子自身が理想とする、日本の読者にも適用可能な母子像を現出させる試みが『小公子』という作品として結晶したのだと報告者は考える。
家父長制家族のなかで女性は男性に比して劣位におかれているが、子どもはさらにその下位にあるといえよう。近代家族の弱者である子どもを媒介として、同じく弱者である母親が社会の既成概念に挑戦し、情愛の力で権力者を動かし理想家族の創出を実現する。その際に重要な役割を果たすのが主人公セドリックと母エロルが持つ(言い換えればセドリックがエロルから学習した)言語能力である。LLFは、「アメリカがイギリスという『親』から自立した後の時代に相応しい新しいアイデンティティを模索していた」社会背景をもとに展開することが先行研究で指摘されている(『英米児童文学の黄金時代―子どもの本の万華鏡』38頁)。本報告ではそこから一歩踏み込んで、アメリカからイギリスに移り住んだアメリカ人のエロル夫人と息子セドリックが、イギリス人のドリンコート侯爵を教え導く「親」役を務め、新しい家族を形成するにいたるという読みを提供したい。ここには、セドリックの異種混淆性(アメリカ人とイギリス人のミックスであること、両性具有的な属性、大人のような身体能力を持った子どもという境界攪乱性を付与されていること)とともに、若々しく聖なる母子(新興国家アメリカ)による病んだ老人(イギリス)救済のイメージが認められよう。
バーネットは「シンデレラ方式」を駆使して多くの読者を獲得した。苦労が報われて、貧しくも美しい女性が貴顕の妻に迎えられるハッピーエンドがシンデレラ物語の定石だが、バーネットの作品に登場するヒロインは、幸運の到来をひたすら待ちうける受身のシンデレラ像の範囲に収まりきらない。バーネットは主人公たちにシンデレラ方式を適用はするものの、シンデレラのようにひたすら受苦に耐え、王子様の救済を待ち受けるヒロインではなく、むしろ積極的に苦難を迎え撃つエネルギッシュな行動力を付与し、「家庭の天使」や「真の女性」の規範を超えてしばしば「男性の領域」に踏み込むことをおそれないジェンダー攪乱性を発揮させている(廉岡糸子2003年53頁)。なかでもLLFは、セドリックが男の子でありながら「シンデレラ方式」で権力を得る物語であり、さらにいえば自らの夢を息子に託すことによって成功した母親エロルのシンデレラ物語ともいえよう。
両性具有性を付与されたセドリックは、愛くるしい顔立ちに長い髪、襟元にレースをふんだんにあしらったベルベットの服に身を包み、女の子と見まごう外見を持つ。大人びた言葉を巧みに操り、主として家屋敷の中で行動し女の子的な属性を持っている。それでいながら子どもには似つかわしくない屈強な身体に恵まれ、勇敢さすら兼ね備えている。もともと孤児であった母エロルは、財力こそ持たないが、美しい外見に恵まれ、控えめながらも話術に長けている。エロルは天使のように純真なセドリックを媒介として権力者であるドリンコートを感化することに成功し、アメリカ人であるよろず屋主人のホッブスも加えて、大西洋を越えた理想家族を形成するのである。原作のこのような構造を若松賤子がどのように翻訳し、『小公子』という新たな作品として創造しなおすのかを分析するのが本報告の主眼である。
報告の前半ではバーネットのLLFが作り出された時代背景を検証する。まずイギリス児童文学の「黄金時代」に活躍したバーネットの作風に迫り、バーネットが英米両国で人気を博した理由を簡単に敷衍する。LLFが発表されたヴィクトリア朝期の家庭では、女性は「家庭の天使」であることが理想とされ、男女の役割分担が自然視された。イギリスではブルジョア家庭のジェンダー規範が児童文学の世界でも提唱されたが、そのなかにあってLLFはそのような規範に縛られない主人公を創出したことを押さえた後、作品の影の主役であるエロルの実態に迫る。LLFにおいて重要なのは、権力を持たない女性や子どもが言葉の力を駆使し権力者を動かす構造であり、逆に言えば適切な言語力を持たないものは物語世界から排斥されることである。ただしエロルが母としての力を行使できるのはあくまでも「家」に属していることが前提にある。
報告の後半では、若松賤子訳『小公子』を分析する。前半で明らかになった点が賤子の訳にどう反映されているか(いないのか)を検証する。賤子は訳文において漢語と和語を視覚的・聴覚的効果を考慮に入れて自在に操る技を披露したが、本報告では賤子が影響を受けたのではないかと考えられるキリスト教文学の翻訳作品を紹介し、賤子の訳文創出の技法を分析する。賤子が日米の雑誌に寄稿した日本語・英語の文章も参照して、『小公子』において賤子が描出したエロル、セドリック母子像と原作が提示する母子像との差異を検証する。結果として、賤子はバーネットのLLFを題材にし、『小公子』という新たな作品を紡ぎだすことによって、自身の記憶の欠如を翻訳の言葉で再構成したのだと考える。
作品へのアクセス
・バーネットLittle Lord Fauntleroyはこちらからお読みいただけます(挿絵がきれいです):
#1 - Little Lord Fauntleroy / by Frances Hodgson Burnett - Full View |
HathiTrust Digital Library
・若松賤子訳『小公子』はこちらからお読みいただけます:
小公子 - 国立国会図書館デジタルコレクション
・若松賤子訳『小公子』を大学の先生がHTMLで読めるページを開設していらっしゃいます:
https://www1.gifu-u.ac.jp/~satopy/llf.htm