3月16日(日)16:00~
近代部会3月例会
テーマ 堀辰雄「曠野」を読む――全体主義との関係の中で
報告者 高口智史
【予告】
小説『曠野』は『今昔物語集』「巻第三十」「中務の大輔の娘、近江の郡司の婢と成れる語第四」から題材を得ている。芥川が古典の説話におおきなアレンジを施すのと異なり、『曠野』の場合はほとんど『今昔』のプロットを踏襲している。殿上人の貴族の娘が、父親の死によってうしろだてを失い近江の国司の息子の婢にまで身を落としていく物語である。
原作となった「今昔」が、殿上人の娘が婢にまで身を落とすという、普通では考えられない奇異な運命を語ることを主眼にしているのに対し、「曠野」では人物の内面に焦点化し、女の没落劇を男と女の自意識のドラマに仕立て上げている。
物語は、一度は親の勧めによって兵衛佐の男と結ばれるが、両親を亡くすと日に日に生活が困窮していく。そして男の昇進のためには二人は別れざるを得なくなる。その後女は去っていった兵衛佐の男を待ち続け、やがてそれも不可能になり、男を失った絶望ののち、末端貴族の卑しい近江の郡司の息子の妻となって運を賭けようとする。しかしその息子には裏切られ、ついにはその息子の婢となってしまう。――このような物語の中で露わになってくるのは、他者(男)に自分の運命を預け、そのあげくに落魄し絶望し、そして死んでいくという女の悲しい人生である。絶望した女の見た「曠野」の光景とはそのような「空虚な」自分の人生の心象風景であり、そしてそれこそは女の本当の自己像だったと言えるだろう。つまり自己のアイデンティティを他者に依存し、他者を鏡とした〈自己幻想〉の中に生き、やがて他者(男)=鏡を喪失することで、最終的には何者でもない空虚な自分を見出すという女の悲劇である。
しかも女は〈空虚〉を自覚しただけではない。男に期待し依存してきた女の自己とは、いわば他有化された自己であり、他者の奴隷にほかならない。「羅生門」の下人が主人から棄てられたように、男が去れば女は何物でもなくなってしまう。女が何者かを決めるのは女自身にはなく男の手に委ねられているということである。
女はその〈空虚〉のなかに〈奴隷〉である自己を自覚したにちがいない。それを自覚したからこそ、女は取り返しのきかない半生への悔いとともに、他者に期待し翻弄された己の半生を反省し、むしろ誰にも知られず平穏に婢として生きる方がよいと思ったのだ。
そう考えると、最後に兵衛佐だった昔の男との再会は、女にとって救いとなるはずはなかった。窮地に立たされたヒロインが白馬の王子の登場によって救済されるという「シンデレラ・コンプレックス」という欲望や、愛への信仰と救済などといった予定調和に対し、ここに語られているのはその定型化された物語への反逆であると言えるだろう。
「今昔」では零落した己の身を恥じてそのショックで女は死ぬのだが、「曠野」はそうではない。女は抱きしめようとする男の腕に必死に抗おうとする。他者に翻弄された結果、弱々しくも自立した自己の大切さに目覚めた女にとって、昔の男との再会は再びこれまでの奴隷の自己に戻ることにほかならなかったからだ。男の方は、昔の女との偶然かつ劇的な再会に、女を二度と失うまいとして必死に抱きしめようとする。しかし今の女にとって、それはハッピーエンドではない。男の抱擁とは男による呪縛であり、それは再び男に所有されることにほかならない。だから女は男の腕に全身全霊をもって抗わなければならなかったのだ。しかしそれに抗った結果、それによる救いはどこにもなかった。だから女は死なねばならなかった。
ただし結末に至って作者はそれまで女の内面があれほど語られていたのに、このような女の内面は語られておらず、突然語りの視点は男に切り替えられる。これにはおそらく次のような理由が考えられる。
三人称で語られる内面は少なくとも虚構内での真実である。従って男の内面は語られた通り、女と別れたことを心から悔い、女を愛しく思い、二度と離すまいと思ったのである。そこに嘘や偽り、上辺だけの装いはなかったということである。作者はまず男の内面の真実を明らかにする必要があった。
それにもかかわらずというか、それだけに女は男が誠実であるだけに、男の必死の抱擁に力づくで抗おうとしたのである。しかしこの女の内面――男に所有されることを拒否する女の自立した精神を語ることは戦時下ではより危険だったろう。だから女の内面は語られずその行為だけにとどめられたのではないかと思う。
しかし精神の自立性の大切さに気づいたにしても、その自立する精神の生きる場所はどこにもない、これが一九四〇年代の堀辰雄の実感だったのではないだろうか。作者から見れば、太平洋戦争直前の日本人は、帝国日本に自己を同化させる他有化された自己ばかりの状況だった。その中で孤独な精神を抱いて生きることは、周囲と異なる自己自体の存在理由すら脅かされ、内面の自由すらおぼつかない状況だったにちがいない。自己を貫き、守り通すこと、孤立自体に意味があるのかさえ懐疑的になってしまうような〈誘惑〉が存在していたのだ。
他方で言論と物資の統制によって発表誌が限定され、検閲も強化される状況では、職業作家として生きること自体が困難な状況も存在していた。このような内面まで押しつぶされそうな状況の中で、どう生きるかを堀辰雄は表現者として懸命に模索していたように思う。(したがって戦時下の検閲をごまかすためにとられた方法が、太宰も用いた、一つはアレゴリーという方法であり、もう一つは女性を主人公とする方法である。)
作家のなかに抵抗の意思がなかったわけではないだろう。しかしそれは敗戦を予見し抵抗を続けたということではなかったに違いない。太平洋戦争に突入する前月にこの作品は書かれた。当時を生きる作家にとって、軍国日本から解放されるなどという出口など見えるわけはなく、絶望的な状況だったろう。与えられた状況を〈絶対〉として、そのなかで自己を失うまいとする必死な思考や創造の営みが繰り広げられたはずである。
そのような出口の見えない牢獄のような状況の中で、作者は精神の自立性、独立性――いわば〈精神の自由〉の大切さに気づいたのだと言える。もちろん気づいても、その先に何らかの解放が待ち受けているような状況ではなく、気づくことが絶望であるような状況であり、それがこの作品に悲劇性をもたらしているわけだが、その〈精神の自由〉の大切さを自分自身に確認すること自体が状況に対する作者の必死の抵抗だったと考えられる。さらにまた堀辰雄がつかみ取った最後の文学的、思想的成果が「曠野」だったのではないだろうか。そこに戦後に継承されずに失われてしまった貴重な文学的思想的な遺産があるように思う。
本文は青空文庫で読むことができる。また現在入手可能なものとしては集英社文庫「風立ちぬ」もしくは「ちくま日本文学㉙堀辰雄」に収録されている。